少し前のお話しになりますが、昨年末、縁あって上野の成就院というお寺に阿弥陀来迎図を制作し納めさせていただきました。思いがけず頂いた依頼でしたが、色々な展開があってとても得るものが多かったので少しご紹介したいと思います。

阿弥陀来迎図全図こちら。
いつもお世話になっている表具屋さん、永島永雅堂さんの手で品の良い仏画表具に仕立てて頂き、ギラギラし過ぎず、とても満足な仕上がりです!
以前こちらの記事にも書いた事がありますが、博士時代に研究していた「阿弥陀聖衆来迎図」復元模写の技法を応用して、今回はオリジナルの形式で描きました。
博士研究についてのインタビュー記事はこちら→http://www.takedahiroko.jp/2015/03/interview-1/
この「来迎図」という形式は、まさに人の臨終の時、金色に輝く阿弥陀如来がやってきて極楽浄土に連れて行ってくれる、というイメージを絵画化したものなので、とてもシリアスな場面でありながら華やかに描かれています。特に特徴的なのは、「金色に輝く阿弥陀如来」を表すために様々な技法が駆使されていることです。この絵は絹に描いていますが、阿弥陀如来の部分だけに絹の裏から金箔を貼り、さらに截金という技法で金の模様を描く事で、全体が金の光に包まれているようなイメージを作り出しています。

IMG_9641細部を見るとその工夫が良くわかります。特に截金は、丸1日作業してもほんの少ししか進まない地道な作業です。せっかちな自分はかなり我慢を強いられるのですが、、すべてが完成した時にいつも、自分がやったと思えないほどの完成された姿になっています。様式美というような簡単な見方では片付けられない、何か神秘的なものを感じて取り憑かれたように作業してしまいます。

この技法はおそらく、昔の人がろうそくの光などで見た時にとても効果があったのだろうという結論を博士論文でも書きましたが、実際にろうそくの光で照らして見た事はありませんでした。しかし今回ありがたいことに、成就院のご住職が実際にお寺で使用する目的で、制作を依頼して下さったのでした。
昨年末、仕立て上がった阿弥陀来迎図を持って成就院に伺いました。早速お堂にかけてみて、ろうそくに火を灯し、電気を消してみると、、、蛍光灯の光で見るのとは全く違う表情が浮かび上がりました。

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DSC00605暗闇の中に、すーっと金色のお像が浮かび上がります。絵の背景が暗闇に溶け込み、細部の描写が消えて、本当に阿弥陀如来がふわふわと浮かんでいるように見えて、自分でも身震いするような体験でした。美術館や博物館で見る仏画は、金による装飾や華やかな色彩を多用した優美なイメージがありますが、もっと影を含んだ、あいまいでぼんやりとしたイメージが具現化されていると感じました。「実際に光っている」ことが人の知覚にじかに訴えてきます。
IMG_0066年が明けて、成就院とご縁のある各地のお寺のご住職が集まって、阿弥陀さんをかけて念仏会をするというので、後ろの方から見学させていただきました。阿弥陀来迎図を本尊の前にかけて、成就院の住職曰く「念仏のプロの方々」がひたすら南無阿弥陀仏を唱える会です。私も仏画を研究している時に文献などで読んだ事はあったのですがまさか、その場に立ち会う機会に恵まれるとは思ってもみませんでした。自分の描いた絵に対してその時間だけでも何千回、何万回の念仏が唱えられるわけですから、最初はちょっと恐ろしい気もしつつ、見ているともはや自分が描いた作品という意識が無くなり、ほんとうに仏様になってしまったのかなという気がしました。こうしてたくさんの人に祈られて、人の手が作り出した「絵」が徐々に「仏」になっていくのかもしれません。その意味でも私にとって仏画は自分の「作品」ではないと考えています。落款やサインなども入れていません。
IMG_9915面白いと思ったのは、お念仏が終わって電気をつけると、さっきまでそこいたかのように感じていた仏様がひゅっと絵に戻ってしまったかのように、ものすごく現実的な感覚が押し寄せてきます。昔の人々は夕方から始めて夜通し念仏会を開いたりすることがあったらしいので、もしかしたら昔の人も朝日がお堂に差し込むとともに現実の世界に戻って行ったのかも知れません。
私は宗教家ではないので、絵を描く者としての興味から仏画を研究していました。今回依頼していただいた成就院のご住職とも、大学院を卒業してアトリエを探している時に、本当にひょんな事がきっかけで出会い、その後様々な場面でお世話になっています。本当に不思議なご縁でしたが、絵を描く者としてとても貴重な経験をさせて頂いたことに感謝しています。

成就院の阿弥陀来迎図のこと