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↓以下、文章部分

2枚の阿弥陀図と作品について 

私が古典絵画に興味を持ったのは大学院に入学したてのころ、鎌倉時代に描かれた仏画「山越阿弥陀図」(下図1)を初めて図録で見た時です。その時に感じた奇妙な感覚は今でも忘れられません。山の端から金色に塗り込められた仏がぬっと半身を現している奇妙な設定、しかもその仏の衣には遠くから見たら判別できないほどの、無数の截金文様が施されているという手の込んだ技法。それでいて仏の様子はどこか楽しげで愛らしく、自分の感覚にすっと入りこんでくるような親近感を覚えました。それまで絵を描く上で私が必要条件だと思っていたこと(遠近法や構図、部分と全体との関係性など)を全く裏切るような「絵」に激しく戸惑い、強く興味を感じました。なぜこのような画面が絵画として成立しているのか、なぜこのように描く必要があったのか、私が藝大大学院に在籍していた5年間は朝から晩まで絵筆を持って仏教絵画の模写をしながら、そのことを考え続ける日々でした。

一方で不思議なことに、古い時代の作品を学ぶほど、自分自身の絵画制作はだんだん自由になっていく感覚がありました。ひとつには日本画で扱う素材や技術に対しての理解を得られたこと、もうひとつはそれまで自分が絵画の必要条件だと思っていた規律が覆されたことによると思います。考えてみれば私が学んできた絵画の規律というのは西洋美術が確立してきたそれであって、日本の古典美術を見たときに、まだはっきりと説明されていないが確かにそこにある別の法則性のようなものを感じました。「山越阿弥陀図」の模写研究を終えたあと、博士課程では「阿弥陀聖衆来迎図」(国宝、高野山有志八幡講十八箇院所蔵)を続けて研究しました。その中で両者に共通していたのは見る人に、まるで自分に向かって仏が迎えに来たかのような感覚を与えるために計算して描かれているということで、私が最初に感じた奇妙さの原因のひとつもそこにあったと思い至りました。それは絵が四角い画面枠の中だけで成立しているのではなく、鑑賞する側の空間につながっている、また技術もそう感じさせるために選ばれているということです。私はいつしかそういった感覚を自分の絵でも体現したいと思うようになりました。またその感覚を言葉ではっきりと説明したいという欲求もあるのですが、なかなかそこまで至りません。そのようなモヤモヤを抱えつつ、大学院での5年間の研究のあと、「空のきわ、地平のあいだ」(下図2)という作品と、今回展示されている「けはいのあと」という作品を描きました。前者は自分がそれまで絵を描く時に無意識に基準としていた水平、垂直をもとにした空間構造をばらばらにして組み直すこと、後者は絵の「奥行き」を充満する空気のように捉えて表現することを目指しました。

こうして述べてみると自分はとても主観的かつ近視眼的に、古典作品を見ていると思います。いくら歴史のあるものと言っても、良く理解できないものもたくさんあります。その感覚は、現代の作品を見る時と同じです。

 

タイトル前編

日本美術の継承と創造 -古典を甦らせて- (前編) 日本画家 武田裕子

2012年7月17日

今回は日本画の作家であり、文化財の保存修復や模写を学んだ武田裕子さんにお話を伺いました。

武田さんは今年3月に東京藝術大学大学院博士後期課程を修了され、平安時代の仏画の彩色技法についての研究、「有志八幡講十八箇院所蔵 国宝『阿弥陀聖衆来迎図』の彩色技法に関する研究-本尊における『金色身』表現を中心として-」で、博士号を取得されました。

およそ800年前のものともいわれる「阿弥陀聖衆来迎図」は、日本の国宝として高野山が所蔵する作品の中でも特に重要なものと位置づけられ、博物館や美術館などでも実物を見る機会はなかなかありません。しかし、武田さんの作品に対する熱意が理解され、高野山が特別に研究のための調査を許可したものです。

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想定復元模写した「阿弥陀聖衆来迎図」

 

-:まずは、博士号の研究について伺わせてください。

 

武田:こちらが博士研究として制作した作品で、「阿弥陀聖衆来迎図」の想定復元模写です。現在では経年劣化して茶色くなっているものを、描かれた当時の鮮やかな色彩や技法を推測して、実際描いてみて立証するという研究方法です。

阿弥陀聖衆

-:こちらを見ると大変鮮やかな色合いですが、現物は随分劣化しているということですか。

 

武田:はい、本物は高野山の霊宝館に保存されている国宝で、おそらく平安時代末期ぐらいの作品です。誰が何年に描かれたかは全く分からなくて、とにかく物だけが残っています。今では3幅に分かれていますが、全部合わせると幅が4メートルぐらいあるとても大きな作品ですね。

 

-:お伺いしたところによると、なかなか簡単に見せてもらえず、高野山にも随分通われたとか。

 

武田:そうですね。平安時代の作品でこれだけの大きさがあると、国宝の中でもすごく貴重な作品です。

高野山の方にとっては信仰の対象であり仏様なので、いくら研究であっても簡単に人に見せたりするものではありません。しかし何度か高野山に伺ってお願いしたところ、研究の趣旨を理解して頂き特別に調査を許可してくださり、そこから半年ほどかけて入念に準備しました。そして2010年末に特別公開という形で高野山霊宝館で公開して下さり、調査もさせていただきました。10日間ぐらいずっと霊宝館に飾って出してくださいましたから、近くの宿坊に泊って、雪の中、毎日通って線や色がどのようになっているかをスケッチしたりして記録しました。これだけの長い期間、実物を目の前にして詳細に観察できたことはとても幸運なことですし、研究としても大きな収穫がありました。

 

- :経年で茶色くなったものの、元の色彩の再現はどのようにされたのですか。

 

武田:まずは科学的な調査をして物質的に推定しました。この時は東京文化財研究所の先生のご協力も頂き、X線を当てて顔料の原子を推定する「蛍光X線分析」をしました。日本画の絵の具は、また、天然の鉱物や土などから作られているものが多く、この時代に使われているものと現在使われているものが物質としては極端に変化していないとう特徴があります。新しい絵具ももちろんたくさん出ていますが、日本画の絵の具で天然のものは、今、画材屋さんで売られている絵の具と当時のものとで大差ないといえます。

科学的な調査と美術史の文脈という側面、そして自分が実際に絵を描いている経験から推測するという面と、いろんな面から照らし合わせて色彩や技法を推定していくというやり方です。

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-:技法の面で現在と違うなと思われたところはありましたか。

 

武田:この研究の一番のテーマが、この真ん中にある大きい阿弥陀仏様がどのように描かれたかを解くことでした。現物は輪郭線は残っていますが、色がまったく落ちてしまっていて、真茶色で真ん中にぽかんと穴が開いたみたいになっているんです。周りの像は割と残っていて、とても豪華に描かれているのにです。

 

-:信仰の対象になるものですから、一番美しく描かれていたはずですよね。

 

武田:そうですよね、一番重要なところです。この作品は絹に描かれているのですが、先学の研究で絹の表ではなく裏側から金箔を貼っていたらしいということは既に言われていました。しかし、それが実際にどのように描かれ、どのような効果を持ったものだったかということが実際に検証されたことは無かったんですね。今回の調査と研究の結果、絹の裏から金箔を貼った上に表から彩色をして、さらに着衣の部分には截金を細かく入れて装飾するという、仏画の表現としてはとても特殊なものであったことが分かりました。まるで金と金でサンドイッチしてるみたいな技法だったんです。それが非常に効果的で、暗くしたときにご本尊だけぼわーっと、こちらに、迫ってくるような感じで浮かび上がって見えるんですね。

 

-:なるほど。

 

武田:今のように上からの照明ではなく、ろうそくで下から暗い中で照らすと余計にこれが輝いて浮かび上がって見えます。

それが、この研究の結論とも言えるのですが、臨場感というか、信仰の対象として耐え得るような、イメージをこちらに持たせるような独特の技法だったと思います。

 

-:そのような手のかかる高い技法を800年以上も昔にされていたのは、驚きですよね。

 

武田:はい。昔の人のイメージの豊かさに驚きますし、仏画にはいろいろなきまりごとがあるのですが、意外に自由に描かれているのを感じました。

 

-:日本画には、中国から流れてきた技法が多くみられるというお話を伺ったことがありますが、この技法も中国では見られるのですか。

 

武田:もしかするとあったのかもしれませんが、現在中国にはこれに近い時代の作品がほとんど残っていなくてよくわかりません。ですから、中国の技法との関連性がなかなか論じづらいところはあります。もちろん直接的につながりが分かる作品も沢山あります。ただ、この作品のこの技法に関しては、日本の中にも他には見られないものです。

 

-:まぁ、そうなんですか。

この復元模写が完成したとき、高野山の方々の反応はどうでしたか。

 

武田:作品を保管している高野山霊宝館の館長さんや学芸員の方が大学美術館の博士審査展をご覧になり、とても喜んで頂きました。私たちは絵画として見てしまいますけれど、描かれている物一つ一つ、それぞれの色にも宗教的な意味があるということで、大変興味をもたれてました。適当には描けないですね(笑)。

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古典技法「截金(きりかね)」の継承

 

-:この阿弥陀仏様に施されている金色の細かい模様は?

 

武田:これが「截金(きりかね)」といって、金箔を細く切って貼り付けて模様を描くという古典技法です。

阿弥陀如来きりかね

-:本当に細い線ですね。これがすべて金箔から切った線ですか?

 

武田:そうですね。その金箔自体がすごく薄くて、約0.1ミクロンですが、それを3枚か4枚重ねて密着させて、少し厚みを持たせるんです。その箔を竹の刀で、髪の毛みたいに線状に細く切るんです。それを筆で貼り付けていって模様を描いていくという技法です。平安時代とか鎌倉時代の仏画に多く使われています。

 

-:この格子状になっている細い線を描くように全部、金箔を置いていくとういことですか。

 

武田:そうですね。細く切った金箔を筆でそっと置いていきます。

 

-:切るだけでも大変な技術だと思うのですが。

 

武田:そうなんですね、切るのが難しいんですよね。

もう亡くなられましたが、截金技術の第一人者でいらっしゃった人間国宝の江里佐代子先生に、修士課程の授業でこの技術を習うことができました。

修士課程の修了制作として現状模写した作品は、截金がすごく密集した作品でしたから、何とかそれを模写するために、截金の技法を習得しないとと思い、一生懸命練習しました。

 

-:かなり練習されたと伺いましたが?

 

武田:すごいしましたね。結局、こういう技術はいくらやり方を教わっても、習得しなければいけないものですから。先生の手つきを直接拝見して学べたことは本当に幸運なことでした。そのイメージを持ちながら、その後はひたすら自分で道具を作るところから始まりました。

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-:道具というのは竹の。

 

武田:はい、竹の刀を。「竹刀」というんですが、竹の皮1枚残して、ひたすら彫刻刀で削って刃をつけていきます。その竹の皮一枚で金箔を切るんですが、そこになめらかに刃がついてないと金箔を引っかけて破いてしまったりして繊細な作業ができません。まず、その竹の刀を作るので何カ月かかかってしまいました。また、それができたとしても、細く均一に切っていくのに、また練習してという感じですね。

切るときには「箔盤」という鹿の皮を貼ったまな板のようなものがあるんですけど、それとぴったり合うように自分で調節していくんです。技術と同じくらい道具を整えることが重要なんですね。

きりかね1

-:大学では、こういった技術を引継がれるような仕組みが確立されているのでしょうか。江里先生が亡くなられて、これからも伝承されていくものでしょうか。

 

武田:そうですね。截金の技術自体が平安時代や鎌倉時代にピークに成熟したものなんですね。その後、質実剛健な「武家文化」になると勇壮な金碧障壁画が、さらに「町人文化」になってくると浮世絵などが流行り、仏画そのものが衰退していき、それと同時に截金も一部の仏画や仏像の中で行われるだけになってしまいました。室町時代以降は、あまり緻密なものはなく、細密な截金の技術が工芸作品などの中で生かされるようになったのは近代に入ってからです。その中で江里先生は仏師であるご主人の江里康慧先生の仏像の截金も手がけられ、さらに大学に来られて私たちのような学生にもその技術を惜しみなく指導して下さいました。

 

-:江里先生が後継者の育成も。

 

武田:そうですね。江里先生が芸大の保存日本画研究室に教えに来て下さり、学生の中でもできる人が何人か育ってきたという感じです。

 

-:古典技法の中には、わからなくなっているものあるでしょうから、数えられるくらいの人数であってもそういう技術を継承できた人がいるのは素晴らしいことですよね。

 

武田:そうですね。試行錯誤して古典技法を取り入れてますが、昔の方が私たちがやっているようにしていたか、本当のところは分からない部分も多いのです。

ただ、残っている素晴らしい作品を見て、それだけを手掛かりにいろいろな実験をして模写することで、ようやく分かってくるということがあります。

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保存修復につながる動機

 

-:截金の技術の習得もそうですが、高野山に国宝を見せて頂くまでの道のりも、どれも簡単ではなかったと思います。そこまで武田さんを動かしたものは何でしょうか。

 

武田:一言でいうと、昔のものの美しさということでしょうか。高野山での調査中、長い時間この絵と接していると、阿弥陀仏と目が合う瞬間があって、その時は何か、その描いた当時の人と対話してるような気持ちになりました。そして800年前に描かれた目の前の”この線”、”この色”を、今、自分が見ることができるということにすごく感動しましたし、この絵の想像力の豊かさに惹かれて、これが描かれた当時の鮮やかな状態を、とにかく自分が再現して見てみたいと思いました。そういう感動した記憶というのが、やりたいと思う動機の一番だと思います。

 

-:「阿弥陀聖衆来迎図」を選ばれたのはどうしてですか。

 

武田:そうですね。私は小学校のほとんどを中国で過ごしたのですが、帰国して、中国と日本は距離は近いのに人の感性がまったく違うと強く感じました。そして、日本画を始めて「日本画というのは一体何なのか」ということを考え出したんです。日本の美術も多くが元は大陸から渡ってきたといわれますが、日本独自のものというのがあるのではないかとずっと考えていました。なぜなら、中国画と日本画は良しとしているものや、感覚的に好む作品が全然違うように感じたからです。そういった日本人独特の感性を何か具体的なものとしてつかみたいと思い、何かこの絵の中にそのヒントがあるのではないかと感じ取ったのです。それが研究テーマとなりました。

 

-:日本人独特の感性を具現化するもの。それが再現できたのですね。そう伺うとますます壮大な作品だと感じます。

この阿弥陀様の部分が真っ黒になっていたということですが、ここを復元するときに、技法的な難しさはなかったですか。

 

武田:はい、ありました。まず仮説を立てて、限りなく可能性を突き詰めていって、これが妥当じゃないかというものに行き着くのですが、最初にサンプルを作ってみますがなかなかできないんです。裏から金箔を貼ってもその効果があるのかよくわからなくて、何度も試行錯誤し、箔の大きさや貼り方は”こうすればうまくいく”、”こうすればきれいにいく”というのを一個一個積み重ねていってようやくできたのです。

 

-:描いた方に教えてもらえないですから大変ですね。この作品には沢山の彩色がありますけど、再現の難しい色というのはあるのですか。

 

武田:そうですね。色によって難しいということはないのですが、やはり色の響き合いというか、バランスでしょうかね。本物を見ると、画面が本当に一体となって見えるんです。

 

-:なるほど。

 

武田:赤は赤、緑は緑と単純に塗っていくだけでは、全然その一体感が出てこないんです。ですから最終的には、自分が今まで描いてきた経験に基づいて、元々の作品を描くような気持ちで制作しました。

 

-:武田さんは大学で最初、日本画科の制作を学ばれ、沢山の作品を発表されてきました。そういった、ご自身の制作経験が活かされたとうことですね。

 

後編では、保存修復のご経験から得た、公共財として日本美術を後世に残していくことへの思いや今後のご自身の制作についてお伺いしていきます。

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※ファイナンシャルラーニング株式会社ホームページ TALK 第6回 より転載

タイトル後編

日本美術の継承と創造 -古典を甦らせて- (後編) 日本画家 武田裕子

2012年7月17日

古典の復元模写や修復の研究を通じて得た技術や知識を、武田さんご自身の作品の中でどのように活かされているのか、制作に対する思いを伺いました。さらに、日本の美術がこれからも末永く保存され継承されていくために、何が必要なのかについてもお話していただきました。

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制作から保存・修復へ

-:武田さんご自身の制作経験が保存・修復の研究でも活かされてきたとのことですが、大学では日本画科で制作を学ばれ、大学院で保存・修復を専攻しようと思われたのはなぜですか。

 

武田:もともと絵が描きたくて東京芸術大学の日本画科を専攻しましたが、専攻して感じたのは、日本画は日本古来の絵具や技法を使って描くとても特殊性のある分野だということです。

学部でも模写のカリキュラムはありましたが、私自身の表現したいことで頭がいっぱいで、自分の作品を美術史や素材の観点から見るということはあまりなかったのです。そこで大学院では素材のことや技法のこと、また修復を学ぶことで、自分の表現がもっと歴史に根差したしっかりしたものになるんじゃないかという期待と興味があって専攻しました。

 

-:昔の技法や材料を研究されるのと現代で新しくご自身が制作するのは、全く違っていて両立されるのは難しいのではないかと思うのですが。

 

武田:そうですね。自分の頭の中は一旦、ものすごくグチャグチャになりました。例えば1000年前の絵とか800年前の絵を見て感動する自分もいるし、また、現代の社会に生きていて感じたいろいろなことを表現したいと思う自分もいます。一度は自分の絵も古めかしくなったりしました。いろんな揺り戻しを受けながらも、それが自分にとっては勉強になることでした。今はバランスを取りながら、やっているという感じです。

きりかね

 

-:大学院ではどのように修復を学ばれたのですか。

 

武田:実習しながら勉強していくというかたちで、修士のときは大学美術館の所蔵品の掛け軸を2幅行い、博士課程のときは、個人所蔵のもので絹に描かれた掛け軸を修理しました。

 

- :神経を使われるでしょうね。今も修復をされているとのことですが。

 

武田:そうですね。今、手がけているのは彩色された仏像の修理なんです。

 

-:仏像ですか。

 

武田:昔は工房で制作されていて、彫る人、塗る人と細分化されていたと考えられています。彩色については絵画の経験を積んだ人の方が感覚を持っているので、彩色の剥落をとめるような処置とか、剥落してしまったところを違う絵具で目立たないように塗る”補彩”などの作業で経験を活かすことができます。機会があればこれからも積極的にやっていきたいと思っています。神経は使いますが、結構楽しいですから。

 

保存・修復から制作活動へのつながり

 

-:古典模写や修復の知識や技法は、今、ご自身の新しい絵の制作にどのように活かされていますか。

 

武田:そうですね。今思うと、学部のときは、自分の作品が手元を離れた後のことは、考えたことがなかったです。でも、自分の作品を誰かが購入してくれて自分の手の届かないところに行き、そこではじめてその作品は自立した存在になります。そして、物質である以上、必ず劣化していくもの。何十年、何百年先、どんなに劣化してしまっても、もう私は手が施せない。そう考えると、修理に耐え得る素材、長くもつ素材を使って描こうという意識が芽生えました。実は、原始的な素材ほど修理にも耐え得るという感じがしますから、和紙や絹に膠で岩絵具を塗るとか墨を塗るとか、そういう天然の材料を使うことを私の制作では考えています。

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-:今年5月の横浜での個展を拝見しましたが、どの作品もとても細密で美しかったです。

 

武田:ありがとうございます。例えばこちらも保存・修復を始めてから得た技術を生かして描いています。「絹本」といって絹に描いてありますが、値段が紙よりも高価で、また扱いも難しいため、今はなかなか使われる人が少なくなってます。

満

「満」絹本著色 金箔 天然染料 岩絵具 墨 2011年

 

-:そうなんですか。

 

武田:昔は、すごく細密にきれいに描けるということで使われていて、仏画などにもよく使われていました。私はその描き味や効果が気に入っていて、こういう作品を描いています。また、絵具だけではなく、草木染めなどに使うような染料もよく使います。これも、模写や古典技法研究をして得たことを活かして描いているところですね。

 

-:なるほど。金箔もたくさん使われてますね。

 

武田:はい。金を使った技法にすごく日本らしさが出てくると、個人的な見解として思っています。琳派もそうですし、金碧障壁画みたいな安土桃山時代のものもそう感じます。仏画の中にも結構見られます。

日本画は基本的には中国から学んだものなので、日本にある技法は中国にあるとか、中国にもっと優れたものがあるというのが普通ですが、金を使った表現の中に中国には見られないような独特の表現が、ある時代に突如見られるような気がしていて、そのあたりに着目したことが博士論文を書く動機にもなりました。

例えば、截金はその1つだと思うんです。中国には截金を絵画に使っている作品はほとんど残ってなくて、特にこんなに緻密なものは全く見られません。

いろいろと推測して思ったのは、元は中国から来た技法だったとしても、これだけ日本で大量に作られたということは、こういう平面的で緻密なものが、何か日本人の感覚に合っていたからではないかということでした。

そういった研究と並行して、自分も金を使ってもっと現代の感性に合うような作品を描きたいと思い挑戦した作品です。

 

-:なるほど、武田さんの作品を拝見して、とてもモダンというか新鮮な印象を受けたのですが、古典技法を現代の絵に活かされているところがそう感じさせたのでしょうかね。研究されたことが見事に制作に生かされていますね。

 

武田:こちらもそうですね。ちょっと琳派を意識した作品になっています。

 

-:こちらはまた違った感じですね。

 

武田:これが銀箔を使った作品なんですけど、花とその周りの部分に全部同じ銀箔を貼ってあるんです。銀は酸化してだんだん薄黒く、茶色っぽくなって、次第に真っ黒に近づいていくのですが、この周りの部分だけ酸化しないようにドーサ(膠を薄く溶かしたものに明礬を加えたもの)を塗っています。塗り残した中の像が、時間がたつと徐々に徐々に浮かび上がってくるという狙いがあります。

問いと祈り

「問いと祈り」 紙本着色 銀箔 岩絵具 2011年

 

-:面白いですね。これをご自分の作品に取り入れようとしたのは?

 

武田:よく琳派の作品が、銀のところが真っ黒になっていて、制作された当初と違う絵になってるといわれますが、時間がたって徐々に変わってくることの良さがあるんじゃないかなと思い、意識して作りました。

 

-:経年でどんどん変わっていく面白さですね。100年、200年先の楽しみがありますけど、壮大な発想ですね。

 

武田:そうですね。そんなことばっかり考えています(笑)。

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これからの制作活動と日本美術の継承

 

-:これからの制作では他にどのようなことをお考えですか?

 

武田:単に技法や素材だけでなく、日本画特有の表現や中国とのかかわり合い、中国画との接点など、自分の絵の中で昇華していけたらいいなと思っています。

 

-:中国との接点ですか?

 

武田:はい、大きくとらえると中国の絵は日本画ととてもよく似ているようですが、やはり少し違うと思うんです。中国の絵には、シンメトリックな構図や対象に迫る写実性に完璧を目指す美を感じますし、建築や彫刻などに見られる、いろんなものを足して細工を豪華にしていくような美しさがあるように思います。その一方で文人画のようにもっと精神的なものも別にあると思いますが。

日本のほうはよく言われるとおり、”間”や”欠けている美”。何かちょっと足りないところ、そこに手が入っていく隙間になって美の世界が広がっていくようなことであったり、何か一つだけ置いてすべてを表すとか。そのあたりが中国と日本の違いなのかなと直感的に思っています。

 

-:なるほど。武田さんのような今の若いアーティストの方も、日本独特の”間”というものを継承して描こうとされているんですね。

 

武田:ここ何年か、日本画や古典的な日本固有の美術などに目を向ける風潮が強まってきたようにと思います。仏教美術の展覧会で博物館に長蛇の列ができていたり、伊藤若冲や曾我蕭白などの江戸時代の画家に興味を持つ若い人がすごく多いことなどを見てそう感じます。

 

-:制作する方だけでなく、見る側の志向も日本画に向いてきたということでしょうかね。でも、小中学校の美術の授業で日本画を習った記憶はほとんどありません。もちろん実技も。

 

武田:実際に私も、大学で専攻する以前に日本画に触れた経験はほとんどなかったと思います。中学や高校の美術の時間に、日本の美術史の流れを軽く触れるくらいでしたよね。

学校で少しでも和紙や岩絵具に触れたり、使ったりする経験があれば、もっと多くの人の意識は変わってくると思うんです。今、若い人が日本画に注目してきてるというのは面白いと思いますが、まだまだ「日本画って何?墨絵のことですか?」と聞かれたりします。多くは、日本画に対する認識が、屏風とか掛け軸とか江戸時代ぐらいまでさかのぼって終わっているようです。特に、明治維新後、洋画が入ってきたところから、自国の美術に対する日本人の意識が変化していったのでしょうね。「日本画」という言葉が生まれたのもこの頃です。当時の日本画には、立体的で力強い洋画のように、光と影の表現を取り入れ、どんどん絵肌を強くしようとした特徴がみられます。そうして、そもそもの日本画にある線という意識がどんどんなくなっていくんですね。例えば、横山大観の作品にもそういった絵が沢山残ってます。

 

-:今、みられる日本画の多くにも、そういう印象がありますね。

 

武田:そうですね。今は多様な表現があるので一概には言えませんし、今の時代を生きる制作者が「日本画」というカテゴライズにこだわって制作する必要も個人的には無いと思っています。

しかし私は古典的な日本の絵画に、今見るとすごく新鮮な空間の捉え方とか色彩感覚とかがあるのが単純に面白いと思っています。また、その感覚が時代によってがらりと変わったりするのを見ると、とてもドラマチックで刺激を受けます。

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-:もっと古い仏画などにも興味を持ってもらわないと、古典の継承や保存は難しくなると思うのですが、ただ保存していくといっても、それも簡単ではないですよね。

 

武田:そうですね、なかなか時代の流れには逆らえないところもありますから。理想論かもしれませんが、本当に魅力的な作品があれば必ず残ると思うんです。いくら貴重でも、優れていても、面白くないものを残そうとするのは多分難しいと思います。

例えば、高野山の「阿弥陀聖衆来迎図」も、800年の間に火災や水害に遭い、お寺から持出して難を逃れたという記述があるんです。端の方に焼けこげがあったり、シミがついたり、ボロボロになっているんですよ。

 

-:そうだったんですか。

 

武田:火事のような自分の命も失うかもしれない緊急事態に、この大きな絵を持って逃げようと思うのはすごいことですよね。多くの人の思いが結集して、幾度の災難をくぐり抜け、修復もされてきた。それほどの魅力的な作品だったのだろうと強く思います。

 

-:芸術って偉大ですよね。人の心に訴えるといっても、永年に人に訴えかけられるものというのは、本当にすごい力を持ってる作品なんでしょうね。

 

武田:そうですね。しかも、時代とともにどんどん美意識とか価値観というのは変わっていくものなので、その中を耐え得るぐらいのものというのは、すごいことだなと思います。

 

-:それは、まさしく公共財と呼べるものかもしれないですね。

 

武田:そうですね。まさに文化財というのは、そういう価値のあるものでしょうね。

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-:武田さんは、古典美術の継承のために、ご自身の研究やお仕事をどのように広めていこうとお思いですか。

 

武田:そうですね。やはり自分の作品を発表していくことや、博士研究のようなかたちでパブリックに向けて発表することとか。

和紙や膠などの日本画に必要な素材も使う人がいなければ、いくら優れたものであっても、作る人がどんどんいなくなっていきます。それが今、危機的な状況にあって、少しでも自分が使うことやそれを使った作品を発表していくこととかで、訴えかけられればいいなとは思いますね。

 

-:現代に新しく描かれるもの、それを生み出す現代の作家の方も大切にしないと、日本独特の技術、技法を継承することも難しいし、将来に残すべき芸術作品自体がなくなってしまうと思うんです。それには作品を観賞する側のマーケットや層が広がらないといけないと思うのですが。

 

武田:そうですね。日本人は美術観賞が好きな国民だと思うんです。美術館などで大きな展覧会があると、行列を作って行かれます。でも現代の作家の絵を自分が実際購入するというのは、意外と少ないようですね。

 

-:欧米に比べると、敷居が高いのか気軽に美術画廊を見て廻って自分の気に入る絵を購入し、部屋に飾るというのはあまりないかもしれません。景気にもかなり左右されますし。

 

武田:はい、絵の世界も今の景気のダメージをかなり受けていると思います。ただ、不景気だからこそ、自分が好きだから買うとか、この作家を応援したいという気持ちで買ってくださる方もいるんですよね。

 

-:個人の小さな購買活動であっても、現代の若い作家の方の絵を一枚買うと、その作家の方だけでなく、巡り巡って、例えば、膠屋さんのような素材を作る方たちも活性化して、制作はもちろん、修復や復元の分野にもつながり、日本の古典美術の継承に貢献できる、そんなふうにつながっていけばいいと思ったりします。

 

武田:そうあってほしいですね。

 

-:古典美術の保存も新たに創出される現代作家の作品も、ときに観る人を感動させ勇気づけ、支えてくれます。反対に制作や保存・修復にかかわる多くの人たちを支えるのは、観賞して感動を受ける私たちなのかもしれませんね。今日は貴重なお話をたくさんありがとうございました。

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※ファイナンシャルラーニング株式会社ホームページ TALK 第6回 より転載


: 3月 2015